明石家さんまの人生哲学を形作った実弟の存在
お笑い界のトップランナーとして活躍し、「生きてるだけで丸儲け」を座右の銘とする明石家さんまさんですが、この哲学が生まれる背景には、壮絶な幼少期の体験と、最愛の弟との悲しい別れがあります。さんまさんの人生において、弟の存在は、笑いを通して生きる力を証明するという現在の活動の根幹を成しています。
継弟との出会いと二段ベッドで泣いた夜
さんまさんが幼い頃に実の母親を亡くした後、父親が再婚されました。継母には連れ子がおり、さんまさんにとって年の離れた弟ができました。さんまさんは弟ができたことを心から喜び、可愛がっていたそうです。しかし、継母との間には埋めがたい溝があり、継母が弟に対してだけ愛情を注ぎ、「うちの子はこの子(弟)だけや……」と話す声が壁越しに聞こえてきたことがあったといいます。この辛い時期を、さんまさんは実の兄と二人で二段ベッドで泣きながら過ごしたというエピソードを、ご自身のラジオ番組などで語られています。
弟の死がさんまの人生にもたらした決定的な影響
さんまさんがお笑い芸人として人気が出始めた28歳の頃、悲劇が起こりました。実家の魚屋の工場兼住居が火事になり、当時19歳だった可愛がっていた弟が亡くなってしまうのです。警察は後に焼身自殺と発表しましたが、さんまさんにとって、この突然の悲劇は大きな衝撃となりました。弟はさんまさんのことを非常に尊敬しており、さんまさんの言うことはすべて正しいと信じていたと言われています。さんまさんは、この弟の死を経験したことで、人生の無常さを痛感し、生きていることの価値を深く考えるようになったのです。
弟の死を乗り越えお笑いの道へ進んだ理由
継母から無視され、辛い思いをしていた幼少期、さんまさんは、どうすれば継母に振り向いてもらえるか、どうすれば周りの人を笑わせられるかを必死で考え、それがお笑いの才能開花につながりました。しかし、弟の突然の死は、さんまさんの笑いに対する考え方を決定的に変えました。悲しみや苦しみを経験したからこそ、さんまさんは「幸せな人を感動させたいんやなくて、泣いてる人を笑わせて幸せにしたいんや」という、人を救うための笑いを追求する哲学を持つようになったと言われています。
「生きてるだけで丸儲け」に込められた弟への想いと決意
さんまさんの代名詞「生きてるだけで丸儲け」(いまる)という言葉は、愛娘IMALUさんの名前の由来にもなっています。この言葉は、最愛の弟の死や、自身も乗る予定だった飛行機事故を間一髪で免れた経験など、数々の「死」に直面したさんまさんがたどり着いた人生の真理です。さんまさんは、弟の分まで明るく生き、生きていることの素晴らしさを笑いを通して伝えるという強い決意をこの言葉に込めています。さんまさんの底抜けの明るさは、過去の壮絶な悲しみを乗り越え、弟への愛を昇華させた結晶なのです。

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